武田VS徳川の争奪戦があった城。
現在残る本丸天守台の石垣は徳川方が武田方から城を奪取したあと築造されたもの。浜松城と同じく石灰岩やチャート質片麻岩のゴツゴツとした野面積みは石垣フェチにはたまらないご馳走である。
城の規模はコンパクトであるが、西に大河天竜川、東には急峻な崖を擁し防御の堅い城である。
現在は二の丸直下まで車で上がれ、なだらかな遊歩道があり見学しやすい城である。
もう少し、樹木を切り払って浜松方向を一望できると歴史的にも地理的にも面白いと思う。
徳川家康の長男、松平信康が切腹したと伝わる二俣城址。本丸にお城はなく、石垣の天守台のみですが、丘の上にあって、横には天竜川が流れ、それなりの防御力を感じさせます。歴史好きなら一度は訪れて欲しいところです。
戦国時代に武田信玄・勝頼と徳川家康が攻防戦を繰り広げた山城として、また家康の嫡男信康が切腹した城としても知られている。天竜川に囲まれた天然の要害に築かれており、本丸から天竜川を眺めるとこの城が断崖絶壁の上にあることがよく分かる。天竜川の流れの音も良く聞こえる。本丸の他、北の丸、二の丸、南の丸I・IIやそれぞれの間にある堀切、土塁などがよく残っており興味深かった。ただ、南の丸IIは薮に覆われ立入は困難だった。
二俣城から鳥羽山城までは遊歩道が通じており、少々距離はあるが鳥羽山城に家康が本陣を置き武田方と睨みあっていた時期もあり、その距離感を掴む為にも歩いてみる価値はあると思う。
今回は二俣本町駅を起点に二俣城から鳥羽城まで色々と見て周ったが、ゆっくり歩いて約2時間だった。
福島勝千代一代記に記載があり、どうせなら寄って見てみようと思い、訪れました。
遠江に詳しくない状態で読んでしまったので、どのように記載があったかは正確には覚えていませんが、険しく重要な城として載っていたと思いますが、それに相応しい堅牢な城に感じました。
石垣や土塁などが現在も見られ、当時のことを考え、感じることができました。
鳥羽山城跡に繋がる道が本丸から出ており、道通りに行けば鳥羽山城跡へ訪れることができます。ただ、自然に溢れており、道も舗装されていない箇所もあるため、注意が必要です。
わかりやすく二俣城の歴史と感想を
●歴史●
・正確な築城時期は不明
・1560年 桶狭間の戦い以降に本格的な造営
・1568年 家康が二俣城を攻略
・1572年 信玄・勝頼と家康による争奪戦開始
・1575年 大久保忠世(家康の重臣)が城主に
・1579年 松平信康が城に幽閉され自刃
・1590年 家康が関東に移封
堀尾吉晴(豊臣家の重臣)が領有
浜松城の支城として天守や石垣を構築
・1600年 堀尾氏の移封により廃城
●感想●
結構な大きさの天守があったのでしょう
天守周りはグルっと周ることができます
眼下には天竜川が流れており絶壁感を味わえました
隣の鳥羽山城跡までは徒歩だと結構距離があるので車が良いかと思いました
個人的には鳥羽山城跡の方がよかったですね
鳥羽山城の大手門も坂ですがとても緩やかです
●二俣城の戦い●
1572年10月、信玄は27000人の大軍で城兵1200人程の城を包囲
二つの川を持つ二俣城を攻めるには大手口(急坂)から侵攻するしかありません
武田軍からすると登り坂になっており、進行速度が遅いため城兵の猛攻を受けて攻めあぐねます
12月、信玄は力攻めを諦めて井戸櫓(水源)を破壊
水を断たれた籠城側(徳川方)は降伏して落城
城は武田軍に明け渡されました
(この後は三方ヶ原の戦いへと続いていきます)