ひゃくあなと読みます。古墳時代の末期(6世紀末〜7世紀後半)に造られた横穴墓群です。大きい古墳から百穴のような横穴式のスタイルへ変化が見られます。
現在は入れませんが、戦時中は地下軍需工場が造られ、洞窟の入り口が残ります。
また、吉見百穴の横穴墓内にはヒカリゴケが自生しています。ヒカリゴケは一般的に中部以北の山地に見られるが、関東平野に生育していることは植物学上極めて貴重であるとのことです。
「日本のカッパドキア」と称されるだけあり、圧巻の横穴式墳墓でした。横穴には入ってもいいみたいですね。私はなんか怖いのでやめておきましたが... 一部落書きされている部屋もあり通行止めになっていました。ヒカリゴケはほんの少し光っているかなぁ程度です。戦争時には地下軍需工場として戦闘機のエンジンや部品を作ろうとしたそうですが、施設の完成が終戦の前年だったらしくあまり稼働はしていなかったようです。上に行く階段は結構急なので年齢に関係なくご注意下さい。頂上付近にコンクリ製の低いベンチがあります。足を取られて転倒しないようにしましょうね。
平日の朝に訪れました。連休後ということもあってか、私が滞在している間は貸し切りでした。
横穴はいくつか中を覗くことができ、綺麗な空間に掘られ、棺を置くと思われる台も成形されていたりと、当時の技術力の高さを感じます。石を削って落書きする輩がいるのが残念です。
国道も近く、さっと見るには満足感のあるスポットです。
吉見百穴を「よしみひゃっけつ」と読んでいましたが、「よしみひゃくあな」と読むことが、訪れてみて初めて分かりました。「ひゃっけつ」の方が読みやすい感じがしますが、これは珍しい読み方の「湯桶読み」になってしまいますね。
吉見百穴は、埼玉県北部にある古墳時代末期(6世紀末~7世紀後半)に造られた横穴墓群で、小高い丘の斜面に穴が沢山開いている光景はなかなか珍しい感じがするので、一見の価値はあると思います。
吉見百穴がある一帯は凝灰質岩と呼ばれる掘削しやすい岩盤が広がっているため、横穴墓群を造るのに適した場所だったのだと思います。凝灰岩は爪で傷跡がつく程度の比較的軟らかい岩盤ですが、文明が発達していない古墳時代に急斜面の岩盤に横穴を掘るのはかなり大変なことだったと思います。
吉見百穴は階段を使って丘の上まで上れます。途中やや急な階段があるので、下りる時は手摺を利用したいところ、手摺の高さが低くてあまり手摺は役に立ちませんでした。
丘の上からの見晴らしはなかなか素晴らしく、目の前には東松山市街地、遠くには武甲山を始め北関東の山々が見え、雪を被って真っ白な浅間山も見えました。
入場券300円を購入して百穴の敷地に入って直ぐ右側に資料館のようなものがあります。ここには、百穴に関する詳しい説明や5分ほどの映像紹介もあるので、ここに立ち寄ってから百穴に行った方が理解が深まり良いかと思います。
吉見百穴は、古墳時代の史跡としてだけではなく、太平洋戦争の時は空襲を逃れて航空機の部品を製造するため軍需工場が造られ、稼働せずに終戦を迎えたという戦争遺構としての側面もあります。
東村山駅か鴻巣駅からバス、もしくは東村山駅から30分くらい歩けば着きます。
平日の昼間に訪れたところ、観光客は数グループと言った感じでのんびりと散策できました。
規模としてはこじんまりした感じですが、ちょっと異空間感があるのと上まで登ると吉見の街並みを見渡せるので気持ちがいいです。上では無人販売をやっていました。
お土産さんのスタッフさんは気さくで、面白い話を聞かせてくださいました。近くの熊谷市名物の五平餅は美味しく安価なのでおすすめです。
また、勾玉とはにわの制作体験もあり時間があればそちらもオススメです。