広々とした境内に重厚な歴史ある建物。
大きな蓮?の池もあり壮大感を感じます。
御朱印も2か所ありコレクターには嬉しい。
宝物殿は歴史好きなら一見の価値あり!!
源氏の氏神であり源頼朝ゆかりの神社。
諸説ありますが三大八幡宮の一つ。
鎌倉幕府と言えば鶴岡八幡宮というくらい歴史的結び付きが強く、静御前が舞を踊ったり実朝が暗殺されたりとエピソードも事欠きません。
宇佐神宮、石清水八幡宮、筥崎宮にも参拝しましたが負けず劣らずスケールの大きな神社です。
なお、本殿は重要文化財。
参道はとても長く、一の大鳥居からだとかなり距離があります。
境内の左右には源平池があり景観も存分に楽しめます。
ただ、私が訪れた当日は国宝館が休館中なのが残念でした。
平日の早朝に参拝した際、観光客はほとんど見かけませんでしたが、昼過ぎには境内が人で賑わっていました。
夜間は20時まで開放されていますが、それ以降は三の鳥居の石橋付近までしか入れません。
ゆっくりお詣りされるなら朝6時から9時くらいが良いと思います。
余談ですが一宮表記されてはいるものの、歴史的には相模国一宮は寒川神社のみだそうです。
1180年、源頼朝がこの地を中心に鎌倉を整備して以来、若宮大路とともに鶴岡八幡宮は今もなお、鎌倉の中心であり続けているように感じます。この場所に祀られるより前、1063年には、頼朝の5代前にあたる源頼義(八幡太郎義家の父)が、石清水八幡宮から勧請し、現在の由比若宮に創建したのが始まりとされています。
当時このあたりは、国香流桓武平氏の嫡流・平直方が関東での拠点としていた場所で、頼義はその娘婿として、鎌倉の大蔵にあった邸宅や所領、郎党といった基盤を引き継いでいきます。こうして河内源氏の東国進出が始まり、そこから頼朝の鎌倉幕府へと繋がっていく道筋を思うと、八幡宮の歴史がそのまま鎌倉の物語でもあるように感じます。武家社会における八幡信仰もまた、頼義・義家親子を起点に広がったとされ、政治・信仰の両面での影響力の大きさを実感します。
個人的には、15年ほど前に倒れてしまった大石段横の大銀杏が、いま見事に再生している姿がとても嬉しいです。残った根から芽吹いた新しい幹が、ここまで大きくなっているのを見ると、自然の力に打たれるような気持ちになります。なお、倒木した大銀杏の幹の一部は、鶴岡ミュージアム併設のカフェ&ショップに展示されているそうです。
昔、この大銀杏の陰に、公暁が潜んで実朝を暗殺したという話を聞いたことがありましたが、どうやらその逸話は江戸時代に広まった説のようです。当時の銀杏はまだそれほどの大木ではなかったのでは…という話にも、たしかにと納得しました。調べてみると、銀杏そのものが日本に入ってきたのは14世紀以降とのことで、あれほど馴染みのある樹木が、意外にも新参者だったという事実にちょっと驚きました。
余談になりますが、公式HPには「破魔矢」と「放生会」の発祥地とありますが、こちらについては諸説あるようです。破魔矢に関しては、日光の大猷院で「烏摩勒伽(うまろきゃ)の持つ弓矢が起源」とする話を聞いたことがあり、放生会についても、宇佐神宮の「隼人の霊を慰める行事」としての起源を見たことがあります。そんな些末なことは抜きにしても、ここが武士の歴史の根幹となる場所であることは疑いようがないと思います。
GWに参拝しました。インバウンドで人が多すぎでした。海外マナー悪い!歩きタバコしてる人もいました。残念。駐車場は有料でした。
有名所とありすべてが立派でした。御朱印は書き入れてもらえます。目の前で書いてくれました。とても上手な字で感動しました。
鶴岡八幡宮を実際に訪れてみて、まず感じたのは、鎌倉のシンボルとしての圧倒的な存在感と、境内に漂う凛とした空気でした。参道を進むと桜並木や石畳が続き、太鼓橋を越えた先に見える本宮の姿は本当に美しく、歴史の重みと格式を感じます。長い石段を登りきると、眼下には鎌倉の町が広がり、過去と現在が交差する不思議な感覚に包まれました。
境内には多くの参拝客や観光客が訪れていて、地元の方々が静かに手を合わせる姿や、海外からの観光客の姿も目立ち、国際的な人気の高さを実感しました。特に印象的だったのは、かつて本宮の脇にそびえていた大銀杏の跡地で、新たな芽が育つ様子から、歴史の記憶と生命の力強さを感じました。
本殿や舞殿、白旗神社など見どころも多く、伝統的な神社建築の美しさに圧倒されます。季節ごとに桜や紅葉が境内を彩り、春には桜、夏には新緑、秋には紅葉と、何度訪れても違った表情を楽しめるのも魅力です。
また、参拝後は小町通りで食べ歩きやお土産探しも楽しめ、観光地としての賑わいと、神聖な空間としての静けさが絶妙に共存していました。大石段を登る達成感や、本宮からの眺めは特に印象に残っています。
鶴岡八幡宮は、歴史や文化、自然が調和した特別な場所で、訪れるたびに新しい発見があります。日本の伝統や精神性に触れることができ、また季節を変えて何度でも訪れたいと感じる神社でした。