日光山輪王寺は天台宗のお寺になります。
日光山輪王寺は当初平安時代の嵯峨天皇から下賜された寺号の「満願寺」と呼ばれていましたが、明暦元年(1655年)に後水尾上皇の院宣により「輪王寺」の寺号が下賜されました。
日光山総本坊で「光明院」と称し日光山を中興した天海大僧正が日光山全体の総本坊として再興しました、延べ床面積二万六千坪の大書院でしたが明治初期の神仏分離令の混乱期明治四年(1871年)に焼失しています。
本坊の中で唯一焼け残った建築物が表門で日光表参道に面して建つ本坊表門で黒漆塗りのために黒門と通称されていて、薬医門の形式になります。
表門は皇族を日光山の門主(輪王寺宮)と仰ぐ門跡寺院の格式を示す門で天界大僧正が創建した、国の重要文化財に指定されており「菊の紋章」が添えられています。
表門には唐獅子・牡丹などの彫刻が施されています。