原善三郎さんの無私の精神には、心を深く打たれました。三渓園を歩きながら、四季を通じて移ろう花や木々の美しさに触れるうちに、こうした自然の豊かさが、彼の無私の心を育んだのではないかと、ふと感じました。私は6月のこの季節に訪れましたが、それだけでも、この場所が一年を通じていかに豊かな自然に恵まれているかが伝わってきました。自然に囲まれると、人間の私利私欲がすっと消えていくような感覚になります。この体験は、私にとってかけがえのない人生の宝物になりました。
三渓園は、横浜・本牧に広がる日本庭園で、四季折々の美しさとともに、日本の歴史や文化を伝える貴重な空間です。その創設者である原善三郎(号・原三溪)は、無私の精神で日本文化を守り育てた稀有な人物として、今も多くの人々の心に感動を与えています。
原善三郎は1868年、岐阜県に生まれました。若くして京都で漢学や画を学び、やがて横浜の大実業家・原富太郎の養子となり、原家の事業を継ぎます。生糸貿易で成功を収め、日本の近代経済の発展に貢献する一方で、その富を自らのために使うことなく、芸術や文化の保護・育成に惜しみない情熱を注ぎました。
1906年、彼は三渓園を開園します。園内には京都や鎌倉から移築した名建築を配し、自然と調和した美しい風景の中に歴史的価値ある文化財を保存しました。それは単なる個人の趣味を超えた、日本の伝統文化を未来へ受け継ぐための壮大な志でした。
また、原善三郎は多くの芸術家を支援し、特に竹内栖鳳や横山大観らの才能を見出して援助しました。関東大震災や戦争といった混乱の中でも、三渓園と文化財を守り抜いた姿勢には、真の信念と使命感が感じられます。彼の行動は、利よりも人と文化への愛に基づいており、その無私の精神は訪れる人々の心に深く響きます。
原善三郎の生涯は、まさに「文化の守り人」としての道でした。彼の静かで深い情熱は、今も三渓園の風景に溶け込み、訪れる人々に感動と学びを与え続けています。その姿は、時代を超えて敬愛されるにふさわしい、真に偉大な人物といえるでしょう。