最新の発掘成果により、その大きさは約5km四方で面積が25k㎡にも及び、平城京(24 k㎡ )や平安京(23 k㎡ )さえも凌ぐ、古代最大の都城である事が分かってきたのだそうです。
それほどの都でありながら、たったの16年間しか使われず平城京に遷都しています。なんか本当に勿体無いですよね(笑)。
その理由で、藤原京がもう「寿命をむかえていたから」という話が面白かったので紹介します。
ここに限らず、それまでの都は基本的に新帝の即位と共に新造する、都市の「使い捨て」状態が長く続いていました。なぜでしょう?
ところで古代中国では理想的な都の立地として「四神相応の地」という概念がありまして、北が玄武で丘陵、南が朱雀で湖沼、東が青龍で河川、西が白虎で大道がある場所が望ましいとするものです。
しかし藤原京は、それに従わなかった結果、深刻な衛生状態の悪化に悩まされていたようなのです。
実は「四神相応の地」は単なる古代の迷信などでは無く、都市工学上極めて合理性の高い配置なのです。
通常、天皇が執務や居住をする宮城は北に置かれますが、そちら側に山があり南に湖沼があるという事は、雨水や汚水が全て南側に排水され、都全体が清浄に保たれるという事です。
東の河川は水運と飲料水を市民に供給するためであり、西の大道は物流と通信・連絡のためですね。
藤原京は南に「朱雀」が無く、南が高く北が低い地形でした。発掘調査の結果、排泄物を含む汚水が宮城付近に流れ込み、水の逃げ場がないので滞留して耐えがたい悪臭を放っていたと推定されています。なるほど、そりゃ都を移したくもなりますわ(笑)。
その点、千年の都「平安京」はよく出来ていまして、北に船岡山や丹波高地があり、南には今は失われていますが巨椋池が存在し「四神」にしっかり対応していたのです。
藤原京の主要部は、そんな訳で居住には適さず後世に開発される事もなく野原のまま放置されてきたので、巨大な大極殿跡などもそのまま残り、また周囲に高い建物も無いので往時のように大和三山が拝めます。
古代の空気や雰囲気を感じながら、華やかな宮廷文化の一方で悪臭に悩まされていた貴人たちを想像するのも楽しいと思います(笑)。