世界遺産登録の石見銀山に位置する精錬所跡です。
石見銀山の中で一番印象に残った場所です。
龍源寺間歩よりもお勧め。
鉱山では、目的の金属を含んだ鉱石を砕石して回収しますが、実際には金属の含有量は数パーセントから十数パーセント位です。
精錬とはその鉱石から金属を回収して純度を上げることです。
ここ、清水製錬所はそんな目的のために作られた・・・はずなんですが。
この製錬所に関する情報がほとんど残されておらず、詳細は不明。
現在では当時の石積みが苔をむし、とても壮大で幻想的に映ります。
石見銀山を訪れた際には是非とも訪れることをお勧めします。
5月5日(水)に訪問しました。
石見銀山のアプリで、当時の建物をイメージすることができます。土台の石しか残されていませんが、かなり大きな建物があったことがわかります。
精錬の手順は、
①選鉱
鉱石の選別する。石見銀山では、比重の重い部分と軽い部分を選別する比重選鉱を行っていた。重い銀が多い部分は、ゆり盆に溜まり、軽い部分は水とともに除かれる。
②溶錬
選鉱した鉱石を加熱して金属を取り出す。
大変な作業であったと思います。
🏣島根県太田市大森町
🅿️🚗…近くにはありませんでした。
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電動アシスト自転車で急な坂道でしたがあがって行きました。
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1,886年
藤田伝三郎が起業した藤田組によって整備された、清錬所跡。
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1,895年
傾斜を利用し巨額の投資をし造られた。
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1,896年
鉱石の質が悪く、精錬能力も不十分だったため、採算が合わず1,896ねんに操業停止と成った。
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清水精錬所跡は、高さ33m.8段の石垣を設けて最上段までトロッコで鉱物を運んでいた。
当時としては最新式だった横置き多管式煙ボイラーを導入。
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今は石垣のみが残されている。
当時の近代的な近代精錬所の遺構として貴重な存在だそうです。
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ちょっと見逃してしまいどうな精錬所でした。
龍源寺間歩に向かう道の左手にあります。いつも町並みを散策するだけだったので、始めて訪れました。遺跡が好きな方にはオススメの場所です。
清水谷製錬所跡は、JR仁万駅の南東8.8kmほどの島根県大田市大森町にあります。
山すその傾斜を利用して造られた明治時代の先端技術による巨大な製錬所の遺跡です。
明治28年(1895年)藤田組が石見銀山の採掘権を獲得し、巨額を投じて建造されました。
最新の技術を採用して、藤田組が近くの坑道で採掘した大量の鉱石を処理していました。
しかし、350年余りにわたって採掘されてきた石見銀山の銀鉱床はすでに枯渇しており、鉱石の質が予想よりも粗悪であることが分かりました。純銀を抽出するために使われた技術も期待を裏切ることとなったようで、最終的にわずか1年半で操業中止となりました。
藤田組は、当時大日本帝国の一部であった台湾の九份など、自社の支配下にあった他の鉱山に精錬設備を移転することで、損失の削減を模索しました。清水谷精錬所の跡地は、変電所へと姿を変えましたが、その後の運命についてはほとんど知られていません。
今では緑の丘の中腹に静かに佇む石やコンクリートの塊に過ぎませんが、周囲には、鉱夫住宅跡・変電所跡・選鉱場跡・トロッコ道などが残っています。