京都の奥深い静寂を求めて訪れた祇王寺は、まさに「心が洗われる」という表現がぴったりの場所でした。
まず、山門をくぐった瞬間に目の前に広がる苔庭の美しさに息を飲みます。絨毯のように青々と茂る苔が織りなすグラデーションは、まるで深緑色の別世界。太陽の光が木々の間から差し込むたびに、苔が濡れたようにキラキラと輝き、その神秘的な光景に、私はただ立ち尽くしてしまいました。
小さな茅葺き屋根の本堂は、ひっそりと佇んでいますが、中で目にした祇王・祇女ら悲恋の尼僧たちの木像が、この寺が持つ切ない歴史を静かに物語っていました。平清盛の寵愛を失った祇王が隠棲したという背景を知ると、この静けさがより一層、彼女たちの「世を儚む心」を映し出しているように感じられます。
特に心に残ったのは、本堂から庭を眺める縁側での時間です。外の喧騒とは隔絶された空間で、風に揺れる竹や木々の葉音が、唯一のBGM。この圧倒的な静けさと、苔の緑がもたらす清涼感が、日々の疲れや雑念をすっかり忘れさせてくれました。
華やかな京都の観光地に疲れた時、この隠れ里のような祇王寺で、真の「侘び寂び」の心に触れるのが最高の贅沢だと感じています。ここは、自分自身と静かに向き合いたい時に再訪したい、私にとっての特別な場所となりました。
12月下旬は紅葉はもう終盤でしたが
苔・緑・竹に囲まれて大変風情を感じました
ベストシーズンは新緑の季節か紅葉の季節かと
ガイドブックにも掲載されているのでしょう
外国の方々が多く見えてました
駐車場は3台停められます
ここは、平家物語に登場する“悲恋の尼寺”
祇王寺(-人-)
平清盛の寵愛を失った祇王が、妹の祇女、母・刀自とともに尼僧となり生涯を過ごした、と伝えられている真言宗大覚寺派の寺院です。
撮影は禁止でしたが、本尊大日如来の他、鎌倉時代の作とされる清盛、祇王・祇女らの木像を安置されていて、はるか平安の物語を彷彿とさせる雰囲気が漂い、祇王、祇女、母・刀自の墓といわれる宝篋印塔や清盛の五輪塔があります。
境内は美しい青竹や青もみじに覆われ、苔に包まれた庭園と、侘びた庵が趣深い佇まいです。妖精や自然霊が出てきそうな神秘的な空間は、訪れる私たちの身体を浄化してくれるかのように、その美しさを解き放っています。
祇王寺には多種多様の苔があり、一つ一つの違いを見るのも楽しみの一つです。
ひっそりと佇む茅葺屋根の草庵。中には祇王、祇女、刀自、仏御前ら5人の木像が安置されている仏間があります。木像の撮影は出来ませんが、吉野窓から外の景色を眺めることが出来ます。
美しい自然に浄化されながら、その歴史に触れてみました♪
JR「京都駅」から
市バス28系統「大覚寺行き」
「嵯峨野小学校前」下車、徒歩17分
平家物語に登場する悲恋の尼寺
【祇王寺】
季節や天候に関係なく、いつ訪れても美しく管理された苔庭ベースの日本庭園が楽しめるお寺です。
曜日や時間帯を変えて数回訪れていますが、客層は落ち着いた海外の方やお年寄りが中心です。
それもそのはず、「嵐山観光」で人気のエリアからは少し外れた位置にあります。
周辺のカフェなどの飲食店も選択肢が少なく、若者受けはしないかもしれません。
でも、駅から竹林の方へ行き、林を抜けてから祇王寺までの道も落ち着いた風情があって私は大好きで、人にすすめる観光スポットも祇王寺です。
このお寺の庭園の魅力は苔だけではありません。
四季折々楽しめるように計算された日本庭園としての美しさも素晴らしいのです。
桜が好きなら春に、紅葉が好きなら秋に…といった感じで好きな植物に合わせて訪れると、それらと苔の対比を楽しめます。
あまり広すぎないのも個人的には好きなポイントです。
広すぎると見て回るのに体力を使いすぎて、飽きたのか疲れたのか分からなくなりますし、見る角度を変えた時の表情の変化こそが歩いて見てまわれる庭園の楽しみ方。
個人的に祇王寺は、お庭に丁寧に詰め込まれた情緒を自分のペースで楽しむにはベストなサイズ感です。
(興味ない人を巻き込んで連れてきても罪悪感がない、とも言えます)
苔庭は日本より海外の方に人気、という話を聞いたことがあります。
芝を美しく管理しているのが良い庭とする文化圏では、グリーンのマットには強く惹かれるのでしょうか。
でも、お家のお庭に使うにはかなり管理が大変です。
1種類だけを敷くなら、湿潤な気候の日本でなら水やりを間違えなければ保てるかもしれません。
祇王寺のように複数の種類となると光量や水量の調整が難しいので、やはり私にとっては苔庭は観に来るものです。
祇王寺の苔庭が今後も美しいまま色んな方が楽しめますようにと願って、今後も嵐山に行く時は行ったことのある季節かどうか関係なく足を運んで拝観料を納めようと思います。
古雅でこじんまりしたお寺さんです。
静かで穏やかな雰囲気が大好きです