現在改装中です。
この建物ができる経緯が結構ドタバタして面白いので興味のある方は是非調べてみてください。
今の大阪市も何をやっても見切り発車で毎回ドタバタしてますが、それは伝統的なものだということがよくわかります。
ただ蔵をモチーフにしたデザインは意外に良いと思います。
昔、フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」を最終日に会社を早退して観に行きました
最終日かつ平日だったので、少しは空いているかと思いましたが長蛇の列、真夏の炎天下で汗だくに(笑)
展示方法が素晴らしく、暗い部屋に単独で少女が浮かび上がる様な照明!
たまたま、ふと人だかりが無くなり、1人でゆっくり観ることが出来ました
このあと神戸で観る機会がありましたが、同じ作品とは思えない残念な展示でした
フェルメール展が開催されていたため訪れました。
日本で3番目に歴史のある公立美術館だそうで、現在は特別展以外は開催されていないようですが建物自体も楽しめそうなので地下の改装など終わらせて公開が進むことを期待しています。
「フェルメール展」を見に行きました。作品の間隔が大きくとられていて人が多かったわりには見やすく良かったです。
学芸員(?)の方が混雑のお詫びを度々連呼されていたのが耳障りで不必要と感じました。
開館前から並んでいる人の入場方法は、一人客には非常に不公平になるので再考されてはいかがかと思います。ロッカーに荷物を預けている間にバンバン抜かされていくので一人の方は要注意です。身軽で行く方がいいかも。
2021年7月追記
コレクション展と特集展示を観に行きました。コレクション展のテーマは「大阪の洋画」でした。国枝金三氏の「せんだんの木のある家」はセザンヌっぽい雰囲気を感じました。広瀬勝平氏の「草上(花を摘む少女)」は水彩画のような描き方で印象深かったです。
特集展示は「美の殿堂の85年~大阪市立美術館の展示室」という、作品のない部屋を見せるという斬新な企画でした。普段見ることのない状態の、いわば『素』の建築物を見るという貴重な経験ができました。
GHQに摂取されていたころにはバスケットボールコートとして使用されていたエピソードなどもあり、波乱万丈の歩みを遂げた大阪市立美術館は来年改装されますが、現在の雰囲気をいつまでも残して欲しいと思います。
2022年8月追記
「フェルメールと17世紀オランダ絵画展」を見に行きました。平日なのでそれほど混雑はしていませんでした。フェルメールの「窓辺で手紙を読む女」がフェルメールの描いた通りに復元されて公開されています。フェルメールの作品はこれ一点だけですが、十分な価値があると思います。レンブラント・ファン・レインやハブリエル・メツーなど作品も複数あり作品数こそ多くはないものの満足できる内容になっていると思います。冷房がかなりきつく連れ合いが寒がっていたので、冷房に弱い方は羽織るものがあればと思います。作品の配列もとても見やすく、中之島美術館の担当者はぜひ見学し参考にしてもらえたらと思います。
東京府、京都市に次いで日本で三番目に設立された公立美術館。
昭和11年(1936年)に開館された日本有数の歴史をもつ。
本格的な美術館を建設しようと大正9年(1920年)に計画され端整なシンメトリーをなす近代和風建築の地上2階建て、地下2階の本館伊藤正文・海上静一の設計。
茶臼山一帯は、もとは住友家の本邸のあった場所で明治以降、住友15代家長の友純(春翠)が用地の買収を進め、大正4年(1915年)に本邸を移転、続いて大正7年には、近代庭園の第一人者、七代目小川治兵衛(植治)の手になる「慶沢園」も完成した。
ところが、大正10年、大阪市が美術館の計画を進めながら、用地の確保に難航しているとの話を耳にした春翠は、美術館を建設するのであればと、慶沢園を含む茶臼山一帯の土地1万坪あまりを大阪市に寄贈する。これにより、大阪市立美術館は建設着工に向けて動き出した。折からの関東大震災や世界金融恐慌を受け、工事はたびたび中断されたが、計画から17年をかけて、ようやく開館にこぎつけた。
戦前の美術館建築は展示品の大部分が東洋美術品だったためか、鉄筋コンクリート建築に屋根瓦を頂いたいわゆる「帝冠建築」が多い。しかし大阪市立美術館は城郭風の京都市美術館(1933)、寺院風の東京帝室博物館本館(1937)に対して町家の土蔵風となっており、帝冠建築の中でもかなり異色の存在である。これは土地寄贈者の豪商住友家、あるいは商都大阪のイメージが反映されたのかもしれない。
吹き抜けの大ホールは日本の近代建築では意外に珍しいクリスタルガラスの大シャンデリア、ゴージャスな大理石のインテリアはなぜかイスラム様式で、偶像崇拝を禁止するイスラム教に敬意を払ったのか人面のレリーフなどは無く、窓のステンドグラスも絵柄のない幾何学模様の色ガラスとなっている。
外観、内装とも豪華かつ個性的なこだわりが貫かれており、日本屈指の美術館にふさわしい名建築である。